ネットはガキの玩具ではない。

私がネットを始めて15年以上経ったが、あらゆるWebサービスが優秀すぎる所為で、ユーザに求められる知識、(情報収集を含めた)スキル、マナー諸々の水準は格段に下がった気がする。
ということは、(言葉は悪いが)バカでもサルでも楽しいネット生活を満喫できる時代になってきた、と言う事だ。

昔から変な人や悪い人は多かったが、それは仮想世界の上に存在するアイデンティティの価値や権利が皆平等であり、(良くも悪くも)声の大きさですら平等であるからして、少しでも異端である「一言論(でしかない)」が目立ちやすい所為だろう。
当然、異端とされる何かに反発する声が生まれる。
そこで数の暴力により、その異端が淘汰される事もある。

力の強い個人や組織は当然存在する。
ネットの外にあるのは、不平等で不規則な社会と、多岐に渡る性質を持ったアンバランスな人間達。
然し、それらも仮想世界の上では均一化された権利とアイデンティティの下に存在する言論のひとつでしかないのだ。現実世界で如何なる力を握っていようと。

その皆平等である世界の中で大衆の指向を動かすのは、教育や交渉に長けた人、組織の運用に長けた人、情報を上手に活用できる人達だ。
彼等が得意とする様々なスキルを補助する為に新しいサービスや新しい技術が生まれ、情報や言論の普及が格段に速くなっていく。
当然、我々プロからする素人達も、それらの道具を扱い、自らの主張性を高める為に活用するようになる。
が、その道具達は一定の難易度を保つ冪だった。
取扱いが簡単なサービスほど悪用され、浅はかなスキームに活用され、自業自得の怪我をする。
道具の扱いと、火の扱いに於ける注意や危険性が孕む事は同義なのだろう。
この意識付けがある事こそが、ネットを利用するに至る最低基準のリテラシーだ。

次にマナー。
言うまでもなく、ネットにも社会性がある。
自らを守るために、群を成し、文明と社会を発明した人間が作ったものなのだから尚当然の事。
Webサイト、ブログ、ソーシャルメディア、動画配信にしてもそうだ。
それらはただ単に主義主張を訴える為だけの拡声器ではない。
2chの煽りで使われる「チラシの裏にでも書いてろ」の一語である。
ネットから自分のいる現実世界にアイデンティティの価値を求める余り、常識から外れた言動を取っていませんか?という事。

ネットは本来、我々が考える以上に崇高な産物であり、決してガキの玩具ではない。

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